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最高裁判所第二小法廷 平成9年(行ツ)142号 判決 1999年3月12日

沖縄県沖縄市胡屋五丁目一番一一号

上告人

松川忠吉

右訴訟代理人弁護士

新垣勉

松永和宏

沖縄県沖縄市字美里一二三五番地

被上告人

沖縄税務署長 屋宜紀義

右指定代理人

渡辺富雄

右当事者間の福岡高等裁判所那覇支部平成八年(行コ)第二号所得課税処分取消請求事件について、同裁判所が平成九年三月二五日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人新垣勉、同松永和宏の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 亀山継夫 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治)

(平成九年(行ツ)第一四二号 上告人 松川忠吉)

上告代理人新垣勉、同松永和宏の上告理由

第一点 課税要件事実の立証責任ついての法令解釈の誤り

上告人は、上告の理由を次のとおり提出する。

一 原判決には、人件費の算定について、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令(所得税法三六条、三七条)違背が存するものである。

二 被上告人は、上告人の一九八七年(昭和六二年)ないし一九八九年(平成元年)の各係争年度の上告人の事業所得認定にあたって、売上金額、売上原価、一般経費の算定については同業者率による推計を用いたが、人件費などの特別経費の算定についてのみ推計を用いずに実額を主張した。

そして、原判決は、「控訴人は、被控訴人に提出した青色申告決算書(甲一三ないし一五号証)の各給与賃金欄に、前認定のとおりの給与賃金を記載して申告しているのであるから、被控訴人が右給与賃金以外には、給与賃金が存在しないものとして推計課税を行うことには、合理性があると言うべきである。したがって、控訴人が自ら申告した給与賃金の額を上回る給与賃金があるとして実額の主張をし、右合理性を覆すためには、公平の見地、立証の難易等の観点からも、単に被控訴人の主張する額以外にも経費が存在する疑いを生ぜしめるだけでは足りず、右実額を合理的な疑いを容れない程度に立証する責任があると解するのが相当である」(原判決四〇頁)、「被控訴人が認定した給与賃金を上回る人件費の実額の立証があったとは言えない」(原判決四五頁)と判示した。

このように、原判決は、上告人において人件費の実額立証がなされていないことを理由として、被上告人の主張額を超える人件費が存在するという上告人の主張を排斥したものである。

三 しかし、経費については、課税庁において立証責任を負うものであり、右判示は、課税処分における要件事実の立証責任の存在についての法律の解釈を誤ったものである。

すなわち、税率表を適用して税額を算出すべき課税標準の前提となるのは所得であるから、所得の存在及びその金額について課税庁が立証責任を負うことはいうまでもない。そして、所得税法(三六条、三七条)は、課税標準を収入金額から必要経費を控除したものとしているのであるから、収入金額及び必要経費はいずれも課税処分における要件事実ということになり(石島弘一「(裁判実務大系二〇所収)要件事実の主張・立証責任」青林書院三四六頁)、課税庁において、収入金額の存在のみならず、必要経費の不存在(被上告人の主張額を超えて存在しないということ。)の立証貴任を負うのである。したがって、被上告人において特別経費について実額主張をする場合には、被上告人の主張する特別経費について補足もれが存在しないことまでを立証しなければならないことは当然であり、その補足もれの可能性が否定されない場合には、特別経費についての立証がなかったことになり、ひいては、被上告人の主張する所得の証明が無かったことに帰するものである。

そして、原審証人亀谷一一~一二項、原審証人斉藤五~七項によれば、本件各係争年度において、控訴人経営「味好み」には従業員が常に一〇名程度おり、具体的な氏名を特定できるものだけでも、被上告人の人件費について、次の捕捉もれの可能性が存するのである。すなわち、一九八七年度については、亀谷貞子(甲一七、原審証人亀谷一項)、斉藤愛子(甲一八・原審証人斉藤一項)、安里シズ子(甲一九)、大城厚子(甲二〇)、古波蔵春子(甲二一)及び山城美代子(甲二二)について人件費の捕捉もれが存している。亀谷貞子及び斉藤愛子の月給を一〇万円とすると、特定できるものだけでも、六〇〇万円の経費の捕捉もれが存することになる。一九八八年度及び一九八九年度についても、安里シズ子(甲一九)、大城厚子(甲二〇)、古波蔵春子(甲二一)及び山城美代子(甲二二)について、人件費の捕捉もれが存することになり、この合計額だけでも三六〇万円の捕捉もれとなる。

もっとも、原判決は、右の人件費の存在については上告人において実額立証がなされていないと認定しているものの(原判決四五頁)、被上告人の主張する人件費の他には人件費は存在しないことは全く認定していないのであるから、結局、被上告人において立証責任を負う経費についての立証はなされていないことになる。

しかるに、原判決は、経費の立証責任の所在について法令の解釈を誤って納税者たる上告人に負わせた違法があり、ひいて、人件費について被上告人の主張以外には人件費が存しないことを何ら認定しなかった理由不備の違法が存する。

四 なお、被上告人において人件費の実額立証がなされない場合には推計によって人件費を算定することが考えられるところ、推計を適用すれば被上告人の主張する人件費と同等ないしこれを下まわる人件費が算定されるのであれば、人件費の実額立証についての解釈の誤りは判決に影響を及ぼさないものとも考えられるので、この点につき検討する。

左記表は、本件において類似同業者とされるA、B、Cの三業者の人件費率(総売上に対する人件費の割合。乙一号証参照)、右平均人件費率及び被上告人の主張に従った被上告人の人件費率(一審判決別表二、四参照)である。

<省略>

そして、上告人の人件費を同業者率を用いて推計し、これをもとに事業所得を算定すると、左記表のとおりとなる。

<省略>

以上のとおり、仮に、被上告人において人件費の実額立証がなしえないときには人件費について推計課税を用いると、被上告人の主張する(原判決の認定する)人件費額を越えることとなり結局、更正処分時の事業所得額を下回ることになり、上告人の請求を全面的に棄却することは許されないものであるから、人件費の実額立証についての法令解釈の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点 推計課税にかかわる法令解釈の誤り

一 仮に、原判決が納税者たる上告人に人件費の立証責任を負わせたものではなく、課税庁たる被上告人に立証責任を負わせながら、被上告人において推計課税についての一応の合理性を立証した以上、上告人において再抗弁ないし反証として、人件費の実額を合理的な疑いを容れない程度に立証すべきとしたものであるとすれば、所得税法一五六条、所得税法三六条、三七条の解釈を誤ったものであり、ひいて理由不備、理由齟齬の違法が存することになる。

所得税法一五六条に基づく推計課税については、確かに、課税庁において推計課税の合理性を立証しえた場合に、納税者において、実額(存在及び補足もれがないこと)を合理的な疑いを容れない程度に立証しえた場合に推計を破ることができるとする見解も存する。しかし、仮にこの理屈が成り立つとしても、それが妥当するのは、あくまで推計による算定過程についてのみであることは余りにも当然である。しかし、本件で被上告人が推計を用いたのは、売上金額、売上原価、一般経費の算定についてであり、特別経費の算定については推計を用いず、あくまで実額を主張したものである(一審被告第六準備書面二〇頁)。

したがって、特別経費の算定については、課税庁たる被上告人において推計を用いずに実額主張をする場合には、上告理由第一点で述べた課税要件事実の立証責任に従い、被上告人において、特別経費の実額(主張する経費の存在及び補足もれのないこと)を合理的な疑いを容れない程度に立証しなければならないものであり、他方、納税者たる上告人は、合理的な疑いを生じせしめる程度の反証をすれば足りるものである。

そして、上告理由第一点で述べたとおり、上告人において、被上告人が主張する人件費以外にも、人件費が存在することを主張、立証しており、原判決は(上告人主張の人件費の証明はないとしているが)被上告人主張の人件費実額に補足漏れがないという認定はしていないのである。したがって、被上告人において立証責任を負う人件費の立証がなされていない以上、上告人の請求が認容されるべきは当然であった。

しかるに、原判決が、被上告人が売上金額、売上原価、一般経費の算定について推計を用いたことから、推計を用いていない特別経費(人件費)の算定についてまで、推計課税の合理性に対する再抗弁ないし反証として、「被控訴人の主張する額以外にも経責が存在する疑いを生ぜしめただけでは足りず、右実額を合理的な疑いを容れない程度に立証する責任がある」(原判決四〇頁)としたのであるとすれば、推計課税、課税要件事実の立証責任についての所得税法の解釈を誤った違法が存するものと言わねばならず、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。

第三点 経験則違反

一 仮に、原判決が、人件費の算定にあたって、事実認定の問題として、人件費については不存在が推定されるとの経験則が存するとの前提のもとに、納税者において人件費の存在を立証しない限り、課税庁の主張する以外の人件費は存在しないものとして認定したのであるとすれば、経験則違反の違法が存するものである。

二 確かに、借入利息、訴訟費用等の特別経費については、事実上不存在が推定されるとして、納税者が反証しない限り、課税庁の主張する以外には特別経費は存在しないものと認定しうるとする見解も存する。

しかしながら、仮に、借入利息、訴訟費用等の特別経費についてかかる不存在が事実上推定されるという経験則が認められるとしても、少なくとも、人件費については、不存在が推定されるという経験則は認めえない。

借入利息、訴訟費用等は、事業所得をあげていても必然的に発生するとまでは言えないが、人件費は、事業所得に伴って例外なく必然的に発生するものである。

沖縄そば店においては、売上をあげる度に、商品を調理し、注文をとり、商品を運び、これをかたずける等の労働が必要となるであり、一定の売上に対して一定の労働力が必要という比例関係が存することは明らかである。

このように、人件費については、売上の増加に伴って増額するものであるから、売上金額について申告書の記載を大きく上回る金額を推計によって算出し、これを前提として更正する場合に、人件費について申告書記載のとおりの金額を採用すれば、それが実額を下回ることになるのは、当然の事理である。

しかるに、原判決が、人件費については不存在が推定されるとのあやまった経験則のもとに、「被控訴人の主張する額以外にも経費が存在する疑いを生ぜしめただけでは足りず、右実額を合理的な疑いを容れない程度に立証する責任がある」とし、被上告人が主張する以外の人件費の不存在を認定したものであるとすれば、明らかに人件費の存在についての経験則を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。

以上

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